大判例

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福岡高等裁判所 平成元年(う)318号 判決

本籍

佐賀県唐津市大石町二四五五番地

住居

福岡市南区寺塚二丁目二六番一号

会社役員

久保田康三

昭和一二年八月四日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について平成元年七月三日福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官小谷文夫出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人北島博志、同大槻竜馬連名提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官小谷文夫提出の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  右控訴趣意第一点(法令違反の主張)について。

所論は、要するに、昭和六三年法律第一〇九号による改正前の所得税法九条一項一一号イは課税所得の範囲を政令に委任し、その所得の逋脱行為は所得税法二三八条によって処罰されるが、右のように犯罪の成立要件を法律に明定せず、これを政令に委任したのは憲法三一条に違反する、また、右の委任に基づく昭和六三年政令第三六二号による改正前の所得税法施行令二六条は、その委任の範囲を逸脱しているので、憲法三〇条、八四条に違反する、というのである。

しかしながら、原判決が原判示各事実に対し、所得税法二三八条一、二項を適用したことについて、所論のような憲法に違反する法令適用の誤りは存しない。

すなわち、前記改正前の所得税法九条一項一一号イは、有価証券の譲渡による所得のうち非課税とされない所得として「継続して有価証券を売買することによる所得として政令で定めるもの」と規定し、これを受けて、前記改正前の所得税法施行令二六条は、一項において「法第九条第一項第十一号イ(非課税所得)に規定する政令で定める所得は、有価証券の売買を行なう者の最近における有価証券の売買の回数、数量又は金額、その売買についての取引の種類及び資金の調達方法、その売買のための施設その他の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする。」と規定し、二項において「前項の場合において、同項に規定する者のその年中における株式又は出資の売買が次の各号に掲げる要件に該当するときは、その他の同項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は、同項の規定に該当する所得とする。一 その売買の回数が五十回以上であること。二 その売買をした株数又は口数の合計が二十万株以上であること。」と規定しているのであって、右所得税法の規定は、継続して有価証券を売買することによる所得が課税の対象となることを法律自体において明示した上で、その課税の対象となる所得の範囲をさらに明確にすることを政令に委任したものであるから、このような法律の定めが所論のように憲法三一条に違反するとは考えられない。

また、前記改正前の所得税法施行令二六条は、その規定内容からして、前記改正前の所得税法九条一項一一号イにいう「継続して有価証券を売買することによる所得」の範囲を、有価証券の売買を行う者の株式等の売買の回数及び株式数等の形式的基準により明確にしているに過ぎないことが明らかであるから、これが所論のように法律による委任の範囲を逸脱しているとは認められない。論旨は理由がない。

二  右控訴趣意第二点(法令違反ないしは事実誤認の主張)について。

所論は、要するに、被告人の昭和五九年分及び昭和六一年分の有価証券の取引の中には、信用取引による株式の売付けと買付けの未決済のものが含まれており、この未決済取引にかかる委託手数料等の債務については、右各年末において確定しているのであるから、右各年分の必要経費とすべきであるにもかかわらず、原審が右必要経費による所得の減額を認めなかったのは、所得税法三七条一項の解釈を誤り、ひいては事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というものである。

しかしながら、原判決が、所論のいう未決済取引にかかる必要経費を原判示の各年分の必要経費として計上しなかった点について、所論のように所得税法三七条一項の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認した違法は存しない。

すなわち、所論のいう未決済取引は、株式の売付けについては買戻し又は現物による決済が、株式の買付けについては売却による決済が行われることによって、初めて所得が実現するのであるから、その取引の決済の日の属する年分の収入となると解すべきである。そして、所得税法三七条一項は、その年分の有価証券の譲渡による雑所得の金額の計算上必要経費に算入することのできる金額は、その所得の総収入に係る売上原価その他当該総収入金額を得るために直接に要した費用の額等であるとして、費用収益対応の原則を定めているのであるから、所論の未決済取引についての必要経費は、その取引が決済された日の属する年分の必要経費として計上されるべきものであり、このことは昭和六二年政令第三二九号による改正前の所得税法施行令一一九条が、「居住者が証券取引法第四十九条第一項(信用取引等における保証金の預託)の規定による信用取引又は発行日取引の方法による株式の売買を行ない、かつ、これらの取引による株式の売付けと買付けとにより当該取引の決済を行なった場合には、当該売付けに係る株式の取得に要した経費としてその者のその年分の金額又は雑所得の金額の計算上必要経費に算入する金額は、第百五条から前条までの規定にかかわらず、これらの取引において当該買付けに係る株式を取得するために要した金額とする。」と規定して、決済された取引のみで費用収益を対応させているところからも明らかである。論旨は理由がない。

三  右控訴趣意第三点(量刑不当の主張)について。

所論は、要するに、原判決の量刑は、懲役刑について執行猶予を付さなかった点において不当に重い、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、本件は、被告人が株式取引による雑所得あるいは歯科の自由診療収入による事業所得等に関する所得税を昭和五九年分と昭和六一年分の二年度にわたって逋脱した事案であるところ、右二年分の秘匿所得は合計約一三億二九〇〇万円、逋脱税額は合計約九億一七〇〇万円と巨額であり、その動機にも情状酌量の余地がないことのほか、本件脱税の手段、態様の悪質性や反社会性などについては、原判決が量刑の理由で説示するとおりであることに鑑みるときは、被告人の刑責には軽からざるものがあるといわなければならない。そうすると、本件の株式取引については、証券会社の側でも仮名あるいは借名口座による取引を受け入れるなどして被告人の脱税を助長していること、被告人は、本件を深く反省、悔悟し、その逋脱した所得税の本税、付帯税等合計約一四億六〇〇〇万円を完納していること、被告人の長男が神経性食欲不振症等の病気に罹患しており、その治療のためには被告人を初めとする家族の理解と協力を必要としていることなど、所論指摘の諸事情を被告人のために参酌してみてもなお、本件は、懲役刑について刑の執行猶予を付するのが相当な事案ということはできず、被告人を懲役一年一〇月及及び罰金一億六〇〇〇万円に処した原判決の刑の量定は、刑期及び金額のいずれの点においても、やむをえないところであって、これらを不当とする事由を発見することができない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅野芳朗 裁判官 近江清勝 裁判官 陶山博生)

平成元年(う)第三一八号

○ 控訴趣意書

所得税法違反

被告人 久保田康三

右の者に対する頭書被告事件につき、平成元年七月三日、福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。

弁護人 北島博志

同 大槻龍馬

福岡高等裁判所第二刑事部 御中

第一点 原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反がある。

一、原判決は、罪となるべき事実として

被告人は、大阪府高槻市南芥川町二丁目一二番等において歯科医業を営むとともに株式取引を行っていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、歯科医業による収入の一部を除外し、あるいは借名の株式取引口座を設定して株式取引をする等の方法により所得を秘匿した上、

第一 昭和五九年分の実際総所得金額が八億三三二七万八五一五円あったのにかかわらず、昭和六〇年三月一五日、大阪府茨木市上中条一丁目九番二一号所在の所轄茨木税務署において、同税務署長に対し、昭和五九年分の総所得金額が六四〇万五〇四三円で、これに対する所得税額はすでに源泉徴収された税額を控除すると五五万九八三九円の還付を受けることとなる旨の虚偽の所得税確定申告書(平成元年押第六〇号の一)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額五億七〇八九万五六〇〇円と右申告税額との差額五億七一四五万五四〇〇円を免れ

第二 昭和六一年分の実際総所得金額が五億一三一六万九八二九円あったのにかかわらず、昭和六二年三月一六日、福岡県福岡市早良区百道一丁目五番二二号所在の所轄西福岡税務署において、同税務署長に対し、昭和六一年分の総所得金額が一〇七五万八七一三円で、これに対する所得税額はすでに源泉徴収された税額を控除すると七八万七〇八八円の還付を受けることとなる旨の虚偽の所得税確定申告書(平成元年押第六〇号の二)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額三億四五六八万一二〇〇円と右申告税額との差額三億四六四六万八二〇〇円を免れ

たものであるとの事実を認定し、右に対し、所得税法二三八条一項、二項、刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、四五条前段、四八条二項、一八条を適用して、被告人を懲役一年一〇月及び罰金一億六、〇〇〇万円(四〇万円を一日に換算)に処した。

二、しかしながら原判決が、本件につき右のように所得税法二三八条一項等を適用したことは憲法三一条(罪刑法定主義)、三〇条、八四条(租税法律主義)に違反する。以下その理由を述べる。

1.罪刑法定主義違反の点について

(一) 原判示第一の実際総所得額八億三三二七万八五一八円のうち八億一五三三万〇五四一円、原判示第二の実際総所得額五億一三一六万九八二九円のうち五億〇二九一万一六二七円は、いわゆる有価証券の譲渡による所得に属しており、有価証券の譲渡による所得については、所得税法九条一項の規定により同項一一号イないしニに掲げる所得以外は所得税を課さないとされているが、原判決は右各有価証券の譲渡による所得は、右のイに掲げる「継続して有価証券を売買することによる所得として政令に定めるもの」に該当する、との検察官の主張を肯認したものであり、さらに右にいう政令の定めとは所得税法施行令二六条二項においてその年における売買の回数が五十回以上で、かつ売買をした株数又は口数の合計が二十万以上であることを課税の要件とするものであって、右課税の要件が充たされた行為についてのみ所得税法二三八条が適用されることになるわけである。

(二) 本件における有価証券の譲渡による各所得が右要件に該当することには争いがない。

(1) ところが、憲法三一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由は奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定している。

これは当然の前提として内容たる犯罪及び刑罰について法律によるべきことを要請するものと解しなければならず、ここに「法律」とは国会で法律の形式で制定された狭義の法律を意味するのである。犯罪を法律で規定しなければならないということは、犯罪の成立要件を法律で明確に規定しなければならないことを意味し、ことに犯罪の特別構成要件は、できるだけ明確に規定されることを要するのである。(團藤重光・注釈刑法(1)六頁以下)

(2) 翻って本件について考察するに、前記のように所得税法九条一項は、有価証券の譲渡による所得については原則として非課税であるとし、例外的に「継続して有価証券を売買することによる所得として政令に定めるもの」をもって課税対象としたうえ、所得税法施行令二六条二項においてその年における売買の回数が五十回以上で、かつ売買をした株数又は口数の合計が二十万以上である場合の所得をもってこれに該当するとなし、これに満たない場合(極端な例で言えば、四十九回に合計数千万株を売買したような場合)の所得は本来の原則に従った非課税所得であるとするものである。

従って本来可罰の対象とならない有価証券の譲渡による所得が右政令の規定によって、課税所得となるか非課税所得になるかに二分され、課税所得になる場合にはその秘匿行為は所得税を免れることになって犯罪を構成し可罰の対象となり、所得税法二三八条一項が適用されるが、そうでない場合には犯罪を構成せず、従って可罰の対象とならないので右条項は適用されないということになるのである。

右は犯罪の成立要件を法律に明確に規定しないで、これを政令である所得税法施行令に委任したものであって、原判決が本件における有価証券の譲渡による所得につき罰則である所得税法二三八条一項を適用したのは明らかに憲法三一条に規定する罪刑法定主義に違反するものというべきであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

2.租税法律主義の点について

(1) つぎに憲法三〇条は「国民は法律の定めるところにより納税の義務を負う」と定め、憲法八四条は「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と定め、いわゆる租税法律主義に明示している。

即ちあらたに租税を起し、又は既定の租税の税率を変更するには形式上の意義における法律によらなければならないとするものであって、この原則の源は遠くマグナカルタに溯り刑法における罪刑法定主義の原則と共に双生児出誕を見たとされるものである。

この原則は「国家は法律の定める限度を超えて租税を賦課徴収することができない」ということと、「国民は法律に定める限度を超えて国家の恣意的な課税をうけることがない」という二つのことを意味しており、租税の賦課徴収をもって法律事項とすることにより行政の賦課徴収の恣意的発動を封じ、国民の財産権への恣意的侵害を阻止しようとすることが強調されているのである。

租税法律主義に関する最も代表的な判例としては、次の二つの最高裁の判決が挙げられる。

(イ) おもうに民主政治の下では国民は国会におけるその代表者を通して、自ら国費を負担することが根本原則であって、国民はその総意を反映する租税立法に基いて自主的に納税の義務を負うものとされ(憲法三〇条参照)、その反面においてあらたに租税を課し又は現行の租税を変更するには法律又は法律の定める条件によることが必要とされているのである(憲法八四条)。

されば日本国憲法の下では、租税を創設し、改廃するのはもとより、納税義務者、課税標準、徴税の手続はすべて前示のとおり法律に基いて定められなければならないと同時に法律に基いて定めるところに委せられていると解すべきである。(大法廷、昭三〇・三・二三、昭二八オ六一六、最民九巻三号三四〇頁)

(ロ) 憲法三〇条(納税の義務)および憲法八四条(租税法律主義)は担税者の範囲、租税の対象、担税率等を定めるにつき法律によることを必要としただけでなく、税徴収の方法をも法律によることを要するものとした趣旨と解すべきである。」(大法廷、昭三七・二・二一、所得税法違反被告事件、最刑一六巻二号一一一頁)

これらの判例は、いずれも、租税法律主義の原則について、租税法律の定立に当たり、権利・義務に影響する事項(課税要件を構成する納税義務者・課税物件・課税標準・税率)のすべてを法律によって定めるべきこと、租税の賦課徴収については行政権の恣意を排し、法律に定められたところを忠実に実施すべきであることが、その意義であることをほぼ認めたものである。

(2) そこで、前記所得税法施行令二六条二項の規定が憲法八四条の「法律の定める条件による」に該当するかどうかの問題を考察することが肝要である。この点の結論としては、該当しないものというべきである。以下その理由を述べる。

右にいう「法律に定める条件による」の意味は必ずしも明確ではないが、租税に関し、課税物件・課税標準・税率・納税義務者等の全部にわたって、つねに法律で定めなければならないというのではなく、ことの性質上、例外的には多かれ少なかれ他の法形式への委任が許されるから、そういう形式へある範囲で委任された場合を予測して、特に「法律に定める条件による」としたかもしれない。

しかし、そうだとしても、だからといって、ここに「法律に定める条件による」とあることを根拠として、無制限な委任ができると解すべきでない。「国会中心主義をとる憲法の精神に照らしていえば、国会の立法権を侵すような広範な一般的委任は許されないと解すべきである。委任命令で規定しうべき事項は、法律の補充的規定、法律の具体的特例的規定及び法律の解釈的規定に止まるべきもので、法律そのものを形式的に変更し廃止する規定のごときを設けることはできない。」とされている(田中二郎著新版行政法上巻全訂第二版一六一頁)。そこで、所得税法九条一項一一号イの委任による前記所得税法施行令二六条二項の規定は、委任の限度を超えるものかどうかを考察する必要が生じてくる。

所得税法九条一項一一号の立法形式は、有価証券の譲渡による所得は、本来非課税所得に属することを大原則とするものであり、その例外のひとつとしてイにおいて「継続して有価証券を売買することによる所得として政令で定めるもの」を掲げていることは前述のとおりである。

即ち有価証券の譲渡によって発生したすべての所得について所得税を賦課するものではなくて、本来所得税を賦課するものではないが、政令において「継続して有価証券を売買することによる所得として定めるもの」については、所得税を賦課するというものである。

右の委任は、所得税を賦課することを法律で定めたうえ、その範囲内において、その条件を定めることを委任する場合とは全くその本質を異にするものである。

換言すれば、非課税の原則のもとで、所得税を賦課するか、しないかの境界線が行政機関の恣意によって定められるというのが右委任の特質なのである。

しかも所得税法施行令二六条一項では、「有価証券の売買を行なう者の最近における有価証券の売買の回数、数量又は金額、その売買についての取引の種類及び資金の調達方法、その売買のための施設その他の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする。」と規定しながら同条二項においては、その年中の売買の回数が五十回以上で、売買をした株数又は口数の合計が二十万以上であれば、「売買の金額」「売買についての取引の種類」「資金の調達方法」「売買のための施設その他の状況」がどうであるかを問わず、営利を目的とした継続的行為と認める旨規定している。

右規定の体裁に鑑みても、所得税法九条一項一一号イの委任による所得税法施行令二六条二項の規定は明らかに委任の限度を超えるものであって、租税法律主義を定める憲法三〇条、八四条に違反するものである。

従って右のような規定を根拠に、本件有価証券の譲渡に関する所得を非課税所得ではなくて、課税所得に該当する雑所得であるとして、被告人に対し所得税法二三八条一項、二項を適用処断した原判決は法律の解釈適用を誤ったものというべきであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

なお租税法律主義違反の点については、弁護人は原審において情状に関するものとして冒頭陳述及び弁論で主張したが、原判決はこの点に関する判断をしていない。

(3) なお参考として申し添えるが、有価証券の譲渡による所得に対する課税関係の前記立法形式については、従来から租税法律主義に違反するとする説があった。

而して最近になって税制改革の一環として行われた所得税法等の一部を改正する法律(昭和六三年法律第百九号)第一条により、所得税法第九条一項中第十一号が削られ、平成元年四月一日より施行された。

右法律第百九号に関しては、「株式等の譲渡益については、非課税を原則とする制度を改め、原則課税とすることとした。」と説明が付されている。

そして有価証券の譲渡による所得についての課税要件は、従来のように政令に委任することなく、租税特別措置法で詳細に定められるようになった(同法第三十七条の十及び十一)。これら一連の法改正は税制改革の機会に前記違反説を考慮して是正措置をとったものと考えられる。

そして前記所得税法施行令二六条も所得税法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係政令の整備に関する政令によって同時に削除された。

また有価証券の譲渡が行われたときには所得の発生如何を問わずに、別途有価証券取引税が賦課されるところから、有価証券の譲渡による所得に課税することは同一行為に対する二重の課税となるという説もあり、証券民主化への配慮もあって、課税庁においても従来この種所得に対する課税は差控えられていたように思われる。

そして、この種所得に対する脱税事件で告発になった例は昭和六〇年三月三一日までの一年間は皆無であり、昭和六一年三月末までの一年間に一件、昭和六二年三月末までの一年間に三件であったところ、昭和六二年四月一日から翌六三年三月三一日までの間では、二三件に激増するという刮目すべき現象となっている。(原審弁七号証)

しかしながら昭和六二年四月一日から同六三年三月三一日までに調査を終了した取引分に限って、所得税法施行令二六条二項の要件に該当する取引内容のものが、前々年に比べて二三倍、前年に比べて七倍強にも急増するというようなことは、如何に累年経済の成長があったとしても一定の処理基準のもとでは到底あり得ないところであって、事件の処理方法が急変したとしか考えられない。

また、新聞は元大蔵事務次官で、衆議院法務委員長であった相沢英之代議士は有価証券の譲渡による所得について約二億円の申告漏れがあり、修正申告をなし、過少申告加算税を賦課された旨報道している。(原審弁九ないし一一号証)

有価証券の譲渡による所得について修正申告をしているのであるから、その取引内容は所得税法施行令二六条二項に規定する課税要件を充足していたと推測できるが、同代議士がその後衆議院法務委員長を辞任したことは報道されているものの、かつて租税の総元締の大蔵省のナンバー2である事務次官であって、在職中幾多の脱税事件の告発に関与して来た筈の同代議士に対して、重加算税の賦課や告発がなされたいう報道はない。

憲法の基本をなす租税法律主義が行政機関の恣意に陥らないよう立法上の配慮を明確にしているのにこれに反するのみか、現実の委任法令の運用においても行政機関の恣意が窺われるとすれば、その根源となる租税法律主義が一層厳格に解釈し実施されなければ憲法の条文は空文化することになる。

いわゆるリクルート事件は、前記所得税法施行令二六条一項が巧みに利用された事件といえよう。

個人がリクルートコスモス株の上場時における新株の割当を受け、上場後これを売却して多額の利益を得たとしても年間の取引が五十回以上かつ二十万株以上に達するわけでないからその利益に対して所得税が賦課されることはない。従って脱税にもならないし、政治資金規制法の規制をうけることもない。

秘書や親族の者が割当てを受けたと言い逃れをし、秘書や親族の者がこれに符合する供述をしても脱税として問擬され迷惑を受けることもない。

全く巧みに前記条項を利用した行為といえよう。

僅かの秘匿所得でも収税官吏によって鵜の目鷹の目で探し出されて課税され加算税まで賦課されるのと比べると雲泥の差がある。

また、年間の取引が五十回及び二十万株を超えた取引をして利益が生じたときは、かりにそれが僅かであっても課税対象となることともバランスがとれていない。

このような租税法律主義に反する条項が、本来これを是正すべき責務を有する立法機関の構成員によって長期間に亘って黙認され、温存され利用されて来たことが、今回のリクルート事件の発生につながるものといえよう。

三、以上述べたところにより、本件における所得税逋脱として可罰の対象となるものは、原判示第一のうちの事業所得(歯科診療収入によるもの)のうち申告所得額を控除した一一、五四二、〇三一円のみで、判示第二の事業所得にはもともと逋脱は存しないということになる。

而して逋脱所得額が一一、五四二、九三一円の程度の少額の事件は、当然告発はなく所轄税務署長の更正処分だけで済まされるものであるから、可罰的違法性はなく、原判示第一、第二ともこれを破棄して無罪の判決がなされるべきである。

第二点 原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反ないしは事実の誤認がある。

一、かりに第一点の各主張が認められないとしても、原判決には次に述べるような判決に影響を及ぼすべき法令の違反ないしは事実の誤認がある。

所得税法三五条二項は、「雑所得の金額は、その年中の雑所得に係る総収入金額から、必要経費を控除した金額とする。」同法三七条一項は、「雑所得の金額(うち山林の伐採及び譲渡に係るものを除く)の計算上必要経費に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、これらの所得の総収入金額に係る売上原価、その他当該収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における販売費一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用(償却費以外の費用でその年において債務確定しないものを除く。)の額とする。」と夫々規定している。

二、被告人が行った本件有価証券譲渡による所得はいわゆる雑所得に属するものである。

被告人は有価証券の取引においていわゆる現物取引及び信用取引を行っていたもので、そのうち信用取引の中には、各年末において「買」又は「売」の建玉が未決済のまま越年する取引が存していたこと及びその内容については争いのないところである。

しかしながら、右未決済取引における個々の委託手数料・管理料・名義書換料・有価証券取引税・支払利息の各債務については、各年末においてその金額は確定していて、未確定ではなく、その後の決済までの間の事情が加わることがあっても、各年末の時点における金額そのものには変動を生じない。

逆に債権である受取利息についても同様である。

原判決は、本件被告人の取引行為につき前記所得税法施行令二六条二項により、「売買の金額」「売買についての取引の種類」「資金の調達方法」「売買のための施設その他の状況」がどうであるかを問わず営利を目的とした継続的行為と認めているのである。

従って前記確定債務と確定債権の差額については、所得を生ずべき業務について生じた費用としてその年中における必要経費に算入さるべきであることは、前記所得税法三七条一項の規定並びに期間計算の原則によって明らかである。

本件における確定債務と確定債権の差額は別表のとおり

イ.昭和五八年一二月三一日 一六、二三〇、四七五円

ロ.同 五九年一二月三一日 四三、八七八、二三〇円

ハ.同 六〇年一二月三一日 二、九九九、八七九円

ニ.同 六一年一二月三一日 五、二六二、〇〇六円

であるから、原判決は本来ロの金額が判示第一の年度(昭和五九年一月一日から同年一二月三一日まで)の必要経費であるのにイの金額が同年度の必要経費であるとなし、本来ニの金額が判示第二の年度(昭和六一年一月一日から同年一二月三一日まで)の必要経費であるのにハの金額が同年度の必要経費であると認定している。

従って、原判示第一の事実の総所得金額はロとイとの差額二七、六四七、七五五円を、第二の事実の総所得金額はニとハとの差額二、二六二、一二七円をそれぞれ減額して認定さるべきである。

右必要経費による所得の減額を認めなかった原判決の事実認定は、所得税法三七条一項の解釈を誤りひいては事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第三点 原判決の刑の量定は不当に重い。

一、原判決は、被告人の犯行が最近における個人の所得税法違反事件のなかで最も多額なものの一つであること、証券会社一一社に三五口の本名、家族及び借名名義による取引口座を設けて株式取引を行ったことを巧妙かつ悪質なものとして、一般予防的見地から、執行猶予に付するのは相当ではないとし、弁護人らが只管刑の執行猶予と懇願したのを排斥して、懲役一年一〇月及び罰金一億六〇〇〇万円に処する旨の判決を言渡した。

しかし、以下の理由から、実刑判決の量定は不当に重く、破棄されるべきである。

二、1.まず、本件は端的にいえば株取引に関する事案であって、いわゆる事業所得等に関する事案とは態様を異にする。

即ち、事業所得等に関する事案においては、売上の除外、経費の架空または水増計上等の工作がなされるが、それらの工作はすべて独自の判断に基づき巧妙に計画される。

しかるに、株取引における事案においては、証券会社ないし歩合外交員の介在があり、それら第三者の介在姿勢そのものが深くかかわっている。即ち、証券会社の収益のうち株取引に関する手数料収入は相当なウエイトを占めている。

また歩合外交員の歩合は、手数料の四割を占め、中には一億円を超えるような年収を得ている者もいるほどである。

したがって、証券会社にとっても歩合外交員にとっても、取引口座が多く取引量が多ければ多いほど手数料及び歩合収入が増大するという関係にある。また、歩合外交員のみならず、普通の営業社員の場合でも会社から課せられるノルマが大きく、これを達成するため客の損益を度外視して株の売買を頻繁にさせるということは日常茶飯事のことである。

このため、本来禁止されている借名口座による取引を容易に受け入れてきた。さらにまた、五十回以上二十万株以上という課税要件を充足しているとして告発・起訴になった例が従来はほとんどなかったため、証券会社も歩合外交員もこの要件について規範としての認識が弱く、むしろ告発・起訴がなかったことを奇貨として、それが発覚しないよう種々協力を惜しまず、むしろこれを助長することにより自らの利益追及を計ってきたのが、この業界の実情であった。(証人古賀久仁彦の承認尋問調書二〇~二八、三〇頁、検第九号二六三丁、二六四丁、二七九丁、二八六丁、検第一〇号二九七丁以下)

右実情にあったからとして責任転嫁するつもりはない。

しかし、本件犯行が右のような実情に基づく第三者の利得との相乗りにより発生している点は、通常の事業所得等に関して発生する事案が独断で工作され、脱税の不当利益がその者のみに帰する態様の事案とは明らかに異なっている。

なお、同じく株取引に関する事案でも、明電工事件や殖産住宅事件では、株価操作・インサイダー取引という策謀を弄して巨利を得たうえ、これを脱税したものであるから、公正な取引によって株価が形成されることを目的とする証券取引制度の本質をゆるがせるもので、本件とは全く次元を異にするものというべきである。

2.次に、本件はパチンコ遊戯場、個室浴場業務等の脱税事件とも本質的に異なる。

これらは、脱税リストの上位に例年ランクされているが、ひとたび査察を受け脱税で告発された場合でも、日々不特定かつ多数の客から現金売上収入を得ているため、不正行為が容易であるとともに発覚しにくいところから再発の蓋然性が極めて高く、事実この種の脱税は跡を絶つことがないことは周知の事実である。それゆえ、一般予防的見地から、厳しく処断されても仕方のないところといえよう。

しかし、本件のような借名取引の株取引による脱税事案は、今後再発する可能性は皆無である。即ち、租税特別措置法の改正により平成元年四月一日以降における有価証券の譲渡所得については、源泉分離課税方式によると、現物取引の場合には、所得の発生如何を問わず譲渡価額の百分の一、信用取引の場合には、譲渡利益の二〇パーセントが課税されることとなり、取引の都度徴税が確保されることになった。

右のように法律によって課税要件が明確化されたので借名や仮名口座による取引はその必要性が全くなくなったばかりでなく、税負担は著しく軽減されたので、投資家は如何なる証券取引でも心おきなくできるようになった。

したがって、遊戯場経営等の逋脱犯と同じく再犯の危険を考慮して一般予防の見地から、直ちに実刑判決とする必要生は皆無であり、この点から原審の量刑は著しく不当というべきである。

3.ところで、近時、同じ所得税法違反事件でも株取引に関する事案においては、脱税額が億単位の巨額なものであっても執行猶予付の判決が散見される。

原判決は、本件が巨額であったため一般予防ないし租税法秩序維持の見地という漠然たる理由から、実刑判決を言渡した。しかし、右一般論から実刑やむなしとするのであれば、右執行猶予付き判決の事例も、巨額であり悪質であることに何ら変わりはないはずのものである。にもかかわらず、執行猶予付き判決がなされた背景には、有価証券の譲渡所得が他の所得と異なり原則非課税とされてきたこと、所得税法施行令二六条二項の規定が憲法八四条の租税法律主義に抵触する恐れがあること、他の脱税事案と異なり証券会社の関与の実情からみて個人のみの責任となすことは不合理な面があること、大会社における巨額の脱税事件や政治家の脱税事件で告発すらなされずに放置されている事案がないでもないこと、多額の重加算税延滞税等が課せられすでにそれを完納して経済的制裁を加えられていることなどの諸般の事情の斟酌が十分になされたからであると推察される。

なお、第一審の弁論要旨に量刑上の参考として添付した上田茂男に対する背任、法人税法違反、会社臨時特別税法違反被告事件に対する大津地方裁判所の判決によれば、損害額一八六億五、八七七万五〇〇円に及ぶ背任罪及び脱税額一三億六、六六五万六、三〇〇円の法人税法違反ならびに脱税額六、四二六万五、五〇〇円の会社臨時特別税法違反という超大型事件について、懲役三年、五年間執行猶予の寛刑を言い渡しており、右判決は第一審で確定しているのである。

本件がこれらの事案とその内容を異にし、特に厳罰に処せなければならないといった点は全く存せず、懲役刑の執行を猶予したからといって決して刑の均衡を失するものではない。

三、被告人が実刑に服することとなれば、家庭の破滅が決定的となる。

現在、被告人の家庭では、神経性食欲不振症(拒食症)及び過食症という難解な病気に罹患した長男耕司(昭和四五年四月一〇日生、一九歳)をかかえている。

その発症の経過は以下のとおりである。

すでに中学在学中から、しばしば原因不明の発熱があったり、登校拒否をすることがあった。医師を目指して修猷館高校へ進学したが、受験を意識し始めた二年の秋ころから、一日まったく食事をしないということがおこり始めた。そして、三年に進学したところから、徐々に拒食の頻度が増していった。その後頻度が増すと同時に拒食の程度も二、三日続けて食を取らないという具合に増大してゆき、拒食のあとまさにむさぼり喰らうとでも表現すべき過食をしては大量の下剤を飲むというような症状も併発してきた。これらの症状は卒業間際の本年三月ころから特にひどくなり拒食と過食を断続的に繰り返してきた。

このため、健康時五六キロの体重が四三キロまで激減し、極度の低蛋白血症(栄養失調)、低栄養性肝障害、貧血、低栄養性筋障害等を呈し、不眠も加わり肉体的にも危険な状態となった。

また、精神的にも、不安感と焦燥感から凶暴性を呈し、家族や医師に対して暴言をはいたり、包丁をつきつけておどしたり、又自ら手首をナイフで切る等の不穏な言動が顕著となった。

そのため、本年六月下旬千早病院へ入院させることとなった。今日まで千早病院の村石医師を主治医とし、木村心療内科、九州大学心療内科等においても併行的に受診し、現時点においては一応の小康状態を保っている。(控訴審において立証予定の村石医師の診断書及び被告人の陳述書)

ところで、この病気の発症の背景には、生まれ立ちから始まった心の発達の問題、つまり精神的な発達が年令相応の身体的発達と一致せず大きくズレていること、そしてそれは多くの場合親の育て方が影響しているといわれている。

それゆえ、その治療方法は、栄養失調等の身体的な症状への手当と同時に精神面における治療においては、何よりも家族の理解と協力が不可欠とされている。つまり、家族とともに受診し、家族ぐるみで一緒に治療し、努力するという姿勢が治療の本筋とされているのである。(村石医師の診断書、控訴審において立証予定の医学書院刊「今日の治療方針」八九年版二五三、二五四頁、及び講談社発行のSOPHIA九月号二五九~二六八頁)

また、前記症状のほか幻聴や妄想といった精神分裂症の初期症状を思わせる症状も同時に認められるところから、この面からの厳重な管理、治療も併行的に行っていく必要があり、この点においても家族全員の協力が不可欠である。(村石医師の診断書)

以上のような状況であるから、もし、被告人が実刑に服さねばならなくなると、長男の治療に著しく困難をきたすばかりか、取り返しのつかない最悪の事態にまで進展してしまう蓋然性が極めて高い。

四、被告人は、本件につき、重加算税、延滞税等約一四億六、〇〇〇万円もの巨額の金員をすでに完納して重い経済的制裁を加えられた。右は脱漏所得の一三億二、九二八万四、五八八円よりもなお約一億三、〇〇〇万円多い金額である。そして、このたびの実刑判決の言渡それ自体によって、極めて大きな社会的制裁を受けたといえる。加えて、長男の病気に対する心労も重く、その治療には被告人の存在が絶対的に不可欠である。本件においてこの上、被告人を実刑に服させることは、被告人のみならず、長男を含めた家族全員をも処罰すると同様な、極めて過酷なかつ非条理な結果を招来することとなる。この点の情状は控訴審において特に斟酌されるべきであり、他の事情も合わせ考慮のうえ、原判決を破棄のうえ執行猶予を付されたい。

ちなみに、判例は、刑事訴訟法第四〇二条の不利益変更禁止につき、「法四〇二条のいわゆる不利益変更禁止規定に違反するか否かは、第一審、第二審において言渡された主文の刑を刑名等の形式のみによらず、具体的に全体として総合的に観察し、第二審の判決の刑が第一審の判決の刑よりも実質上被告人に不利益であるか否かによって、判決すべきものである。」とし(最決昭三九・五・七刑集一八・四・一三六、最決昭四三・一一・一四刑集二二・一二・一三四三)、この基準に従って、懲役六月の実刑を懲役八月執行猶予四年に変更することは不利益変更にはならないとしている(札幌高刑昭四四・一二・二五判時五八〇・九一)。

従って、本件において、原判決より重い自由刑であって執行猶予の御恩典に浴させることは、何ら不利益変更禁止規定に違反しないことを申し添える。

以上の諸理由により原判決を破棄し、さらに相当の御裁判を仰ぎたく本件控訴に及んだ次第である。

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